浜松市 給湯器交換(正直屋 浜松中央店)

徳川家康

「竹千代」から次々と改名 強い武将に

徳川家康は、1542(天文11)年、三河国の岡崎城主(今の愛知県岡崎市)松平弘忠とお大の子として生まれました。「竹千代」となずけられました。

当時の松平家は大名と言いながらも力が弱く、当時は、東海一の大名であった今川氏に仕えていました。

1555(弘治元)年、今川氏の人質なっていた竹千代は14歳になりました。今川義元の「元」の字を義元からもらい、「松平元信」と名前をかえました。

1557(弘治3)年、元信は、義元のすすめによって、今川一族の武将関口親永の娘(義元のめい)を妻に迎えました。のちに築山殿と呼ばれる人で、この結婚を機会に、元信は尊敬する祖父の清康の「康」をもらい「元康」と名前をかえました。

1560(永禄3)年、桶狭間の戦で敗れた今川氏は次第に衰えてきました。

1562(永禄5)年、織田氏と同盟を結びました。今川氏を敵と定めた元康は、今川義元から与えられた「元」の字を捨て、尊敬する武将、源 義家の「家」をとって、「松平家康」と名乗ることになりました。

1566(永禄9)年、三河国を代表する大名になった家康は、将軍、足利義昭を通して朝廷から三河守という役を与えられ、これを機会に「松平」を「徳川」に改めました。

「徳川」は、家康の先祖が住んでいた上野国(今の群馬県)の徳川という地名から付けたといわれています。

こうして、「徳川家康」という名前が誕生しました。

家康が浜松に来たのは、1570(元亀元)年、武田信玄が遠江国(今の静岡県西部)に勢力を伸ばすのに備えるために本拠地を岡崎城から浜松城に移した時です。

本日は、浜松市のお客様宅にご訪問致しました。

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